EXFA新作「KING11」と「フリーガン・トートバック」発売開始

2007年07月04日

■味の素スタジアムに来ると、どうしても空を眺めながら飛燕戦闘隊の事を想ってしまう

大日本帝国陸軍が帝都防空の為に戦闘機を配備していた
調布飛行場の跡地に立つ東京スタジアム。
現在は味の素スタジアム。


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味の素スタジアムに来ると、いつも空を眺めながら考えてしまう。

調布基地に配属されていた飛行第244戦隊の戦闘員はこの空を見つめ、何を想い、飛燕を駆って10000メートル上空のB-29に向かっていったのだろうかと…

どんな想いで、あんな絶望的な闘いに挑んでいったのだろうかと…

東京を爆撃に来たB-29の飛ぶ高々度10000メートルまで辿り付き、 まともに動ける戦闘機は日本唯一の液冷戦闘機、

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陸軍三式戦闘機「飛燕」ぐらいしかなかった。


少しでも早く高々度まで辿り着き、東京を爆撃させない為に飛燕戦闘機隊は極限まで飛燕を絞込む。

戦闘機なのに武装を削り、
たださえ薄い防弾鉄鋼も外し、
高度10000メートルでは空気が薄くて生きていけないので搭載していた
重い酸素ボンベを下ろし、代わりに酸素発生剤でギリギリの空気を確保し、
マイナス40度になる高々度でも耐えられるように電熱服を着込み、
酸欠と低温火傷に苦しみながら、
当時最強の防弾装備と防御火砲を持ち、 完全与圧で10000メートルを飛行中も普段着で過ごせた

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SUPER FORTRSS=超空の要塞B-29に
体当たり戦法、 対空特攻戦法を敢行していたのである。

燕は空飛ぶ巨鯨に対抗する為に涙ぐましい減量で闘いを挑んでいたのだ。
皇都東京を護る為に。
わずか60年前の味の素スタジアムで。


しかし、味の素スタジアムに通うサッカーファンでも、この飛燕戦闘隊の苦闘を知る人間は数少ない…

そんなわけで
EXFAにおいて飛燕戦闘隊啓蒙活動を始める事にしました。


EXFA-035「飛燕 甲」はTシャツ中央に

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味の素スタジアム=旧調布飛行場の60年前の空中写真を背景にした
陸軍三式戦闘機「飛燕」のスマートな機体を配置、

上部には三式から3の認識ナンバーを、
下部には昭和20年1月27日関東平野上空にて飛燕による体当たり攻撃でB-29を撃破した事示す、 飛行第244戦隊の戦隊長・小林照彦少佐機に塗られていたという世界で一番カッコ良い撃墜マークを配置 。

  


EXFA-036「飛燕 乙」は陸軍史上最年少の小隊長、飛燕の英雄、小林照彦少佐とその体当たりによる撃墜マークを大胆に配置。

↑の撃墜マークは、不当なぐらい日本では知名度が低いけど、海外のプラモデルファンが「飛燕」を買うと挙って小林戦隊長機の体当たり撃墜マークを貼りたがる。世界で一番カッコ良い撃墜マークだ。

小林少佐は戦隊長ながら常に最前線に立ち、命令するだけでなく自ら飛燕で体当たり攻撃を何度も敢行。
B-29とF6Fヘルキャットを多数撃墜し帝国陸軍最後のエースパイロットとなる。
大戦を生き抜き、戦後は一般人に戻りサラリーマンになるも、航空自衛隊発足と共にパイロットとして復員。
アメリカ留学を経てジェット機の操縦士となるが訓練中にT-33で事故死。
しかし、その事故の際も二人乗りのT-33で前方座席に座っていた副操縦士は先に脱出させ、
制御不能のT-33が民間人の住む土地に墜落しないよう、脱出はせずになんとか市街地を避けるまで操縦し、基地上空まで辿り着いたところでT-33が持たずに機体もろとも爆死。
最後まで日本人を護るために戦い抜いての死だった。

こんな男の中の男、軍人の鑑でありながら、酒好きなのに酒に弱く、
子供が病気なのに酔っ払って深夜帰宅してしまい、
奥さんに玄関で「お父様なんか、もう要りません」と怒られると、ショックを受け、そのまま家出、
会社も休んで一日ションボリ失踪するなど人間味溢れるエピソードも魅力だ。っていうか萌え萌えだ。

  


昭和20年4月24日の戦闘日記に小林照彦戦隊長はこう記している

四月二十四日(火)

久しぶりに遊撃戦斗。敵は立川に来襲す。
部隊の戦果。撃墜四機、撃破十三機。予は一機撃墜、一機撃破す。
古波津少尉体当たり、生還。
先日三機撃墜、一機撃破し、体当たり生還せる市川中尉、憤然として不自由の身を押し出動する。
我が部下ながら神様なり。頭の下がる思いなり。我が部下は神なり、愛する部下はみな神の如き人々なり。

60年前の味スタはこんな男達が東京を護るために命を燃やしていた場所なのだ。


帝都絶対防衛、飛燕戦闘隊シリーズ
EXFA.netにて発売開始