EXFA新作 「FOOTBALL FANATIC」 発売開始

2004年04月13日

■ヘナギサワ実存主義

ジーコ解任集会関連での諸々の出来事で、ちょっとNETでの議論に出遅れた感は否めませんが、色んなところで叩かれていた、例の柳沢の公式WEBでの発言を読んで感じた事を書いておいたんで、今更ながらUPしてみます


柳沢が苦悩の中、足掻いている

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サンプドリアでは今だ無得点、ジーコJAPANでもいい所無しでは
致し方ないところだろう…

シンガポール戦でも良いところは一つも無かった。

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NAVERで柳沢罵倒ネタと共にいつも必ずUPされるベンチでも孤立するヤナギの悲しい画像。


ジーコJAPANの基本コンセプトである

『自由』

という概念に柳沢ほどフィットしない選手はいないんじゃないかと思う。

柳沢はストライカーでありながら、ペナルティーエリア内でシュートチャンスがあったとしても
自分で無理にでもゴールを狙う事はせず、少しでも可能性が高い味方が近くにいたなら、
チームへの貢献を第一に考え、そちらにラストパスを供給する事を、
己の美学として生きてきた稀有なFWだ。

ジーコJAPANで攻撃の決め事と密な連携を一番望んでいるのは柳沢なのではないかと勝手に推測している。

また弱気な事を滅多に口にしないあのヒデもHIDEメールで苦悩する心境を吐露する。


柳沢や中田の苦悩を見ていると『自由』という魅力的なタームが待つ
深遠な意味合いに思いを馳せずにはいらない。

オーストラリアにはかつて社会主義圏内だった東欧から亡命してきた人達を再び東欧に戻すための収容所があったという。
この収容所は亡命者を不法入国の犯罪者と認定して東欧に強制送還する為の施設ではない。
わざわざ苦労して社会主義国から西側自由主義国に亡命してきて、自由を謳歌して生きる事を実現できたっていうのに、なぜかそれを捨てて社会主義国に戻りたいという人達を収容する施設なのだ。
彼等は
どんな職業につき、どんな生き方をして、どんな夢を持ちたいかを自分で決める事ができなどころか、洗濯機を買う時に、いくつかの選択肢の中から自分で自分の欲しい商品を決める事さえ苦痛だったという。
彼等は自由という重さに耐え切れなかったのだ。

”実存は本質に先立つ”という観点に立つフランスの哲学者サルトルにおいて
自由は恐怖であると捉えれている。
サルトルは言う

人間は自由という刑に処されている

と。

僕は思う

今の日本代表はジーコが提示する自由という刑に処されている。

と。


特に中田の場合、この苦悩はより深刻だろう。義務感だけで

自由に決め事を決めなきゃいけない自由というパラドックス

の中に押し込められているのだから。

サルトルの小説『嘔吐』の苦悩する主人公は小説を書くという創造的行為に救いを見出した。
苦悩する我等が海外組&キャバクラ8の救済の光はどこにさしているのだろうか?

コメント

ナンバーウェブに、ジーコジャパンに関する面白い指摘が掲載されていました。UZタンの言い分も最もであり、解任運動も結構だと思いますが、ナンバーウェブを見てのUZタンの意見もアップしてもらえると嬉しいです。

Posted by: まきお at 2004年04月13日 19:45

サルトル漏れも好き

Posted by: at 2004年04月13日 22:48

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」にも、同じようなことがかかれてますな。
過ぎたる自由は身を滅ぼす。
「自由」を処すことの如何に難しいことか。

Posted by: Shu at 2004年04月14日 00:37

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